ハート バイオグラフィー(結成~80年代前半)

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先ほどのフリートウッド・マックに続いて、今回はいよいよ私が大ファンである、ウィルソン姉妹率いるハートについて紹介します。
ハートは歴史が長く、また私の思い入れも多いので、記事を何回かに分けて書いていく予定です。
ハートはアメリカ本国での実績にかかわらず、日本での人気がいま一つなので、この記事を通してハートに興味を持った、ハートを聴いてみたいという人が増えれば、うれしいです。

今回の記事は、60年代後半のハートの母体となる「ジ・アーミー」の結成~80年代前半までのバイオグラフィーについて、記述します。

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①母体となるバンドの結成~ハートしてのデビュー

ハートの始まりは、ギタリストのロジャー・フィッシャーとベーシストのスティーヴ・フォッセンが1966年に結成した、「ジ・アーミー」です。
その後、1968年にメンバーチェンジをして、「ホワイト・ハート」と改名しました。

1971年に、オーディションを行い、ヴォーカルのアン・ウィルソンを見出し、加入させまして、「ホーカス・ポーカス」に改名して、地味なライブ活動を行います。
そこで、アンはロジャー・フィッシャーの兄で、ホーカス・ポーカスのメンバーでもあるマイク・フィッシャーと出会い、恋人関係となります。

1972年、「ハート」と改名し、活動に拠点をバンクーバーに移し、マイク・フィッシャーはバンドのマネージャーになります。
そして、レッド・ツェッペリンのカバーを主力に、クラブ主体のライブサーキットを精力的におこないました。

その頃からアンの妹であるナンシーも時々参加していましたが、小説家を目指していましたため、バンドへの正式加入はなかなか決心ができませんでした。
1975年にナンシーが正式加入し、またライブ活動を精力に行った努力が実り、マッシュルーム・レコードとの契約になり、「ドリーム・ボート・アニー」でレコードデビューにこぎつけます。
その直後に、レコーディングに参加していた、ハワード・リースとマイク・ディロジェが正式に加入します。

その時のメンバーを整理すると、
アン・ウィルソン(ヴォーカル)
ナンシー・ウィルソン(ギター/ヴォーカル)
ロジャー・フィッシャー(ギター)
スティーヴ・フォッセン(ベース)
ハワード・リース(ギター/キーボード)
マイク・ディロジェ(ドラム)

②第1期黄金時代

「ドリーム・ボート・アニー」で、デビューを飾ると、たちまち、レッド・ツェッペリンの影響を受けた音楽性、アンのパワフルな歌声、ウィルソン姉妹の美貌などが注目され、マジック・マン(全米9位)、クレイジー・オン・ユー(全米35位)がヒットし、「ドリーム・ボート・アニー」のアルバム・チャートの7位に輝くなど、好調なスタートとなりました。

1976年にセカンドアルバムの「マガジン」の制作に取り掛かりましたが、マッシュルーム・レコードの方針に疑問を持ち、作業の途中で、契約を破棄し、ポートレート・レコードへ移籍します。

そこで、アルバム「リトル・クイーン」を発表し、シングルカットされたバラクーダ(全米11位)をチャートに送り、アルバムとしてのセールスも全米9位となり、第1期黄金時代を築き上げます。

このころは音楽的にはレッド・ツェッペリンの影響が色濃く感じられるハードロックやアコースティックサウンドがメインでありましたが、メルヘンチックで叙情的なハート独自の世界を感じさせる曲も多く、いまだ、このころのハートが一番よいと言う人もかなりいます。
また、そのころは、ロジャー・フィッシャーがリーダーシップをとり、音楽やアルバムのコンセプトを考えていました。
オリジナリティあふれる作品郡もロジャーの手腕が大きかったと言えます。

③ロジャー・フィッシャー脱退から低迷時代へ

1978年、「ドッグ・アンド・バタフライ」を発表し、バンドも安定期に差し掛かると思われた矢先、突然、ロジャー・フィッシャーが脱退してしまいます。
原因は恋人関係にあった、ナンシーとの破局です。同時にアンとマネージャーであったマイク・フィッシャーも破局し、マイクもバンドを去ります。

このようなことで、ウィルソン姉妹は名実ともにハートの中心となり、1980年「ベベ・レ・ストレンジ」を発表し、全米5位となるも、1982年の「プライベート・オーディション」では苦戦します。

その直後にスティーヴ・フォッセンとマイク・ディロジェが脱退します。
ロジャーの脱退が引き金になったのでしょうか?
スティーヴとマイクの代わりに、元ファイヤーフォールのマーク・アンデス(ベース)と元モントローズのデニー・カーマッシ(ドラム)というベテラン・ミュージシャンを加入しました。
そのメンバーで「パッションワークス」を発表しましたが、また不発となりました。

それでは、80年代に入り、なぜハートは低迷したのでしょうか、大きくは2つの理由が考えられます。

1)ロジャー・フィッシャー脱退の影響

ロジャー・フィッシャーがいたころは、かれが音楽やアルバムのコンセプトを考え、「ドリーム・ボート・アニー」、「リトル・クイーン」、「ドッグ・アンド・バタフライ」などの、オリジナリティの名作を作り上げていった。
しかし、ロジャー脱退後の作品は精彩を欠いてしまいました。
また、その後のスティーブとマイクの脱退も、ロジャーが脱退が影響していると思います。

2)80年代の流れに対応できなかった。

80年代に入ると、ニューウエイブの影響を受けたニュー・ロマンティックスなどの音楽が、主流となってきました。
そこで、70年代ハードロックを基幹とするハートの音楽は古くなってきたということでしょう。

また、80年代に入ると、ライバルとなりような女性中心バンドや女性だけのバンドが続々とデビューしてきました。
1980年の「ベベ・レ・ストレンジ」のミュージック・ライフ誌でのレビューで、
*女性中心バンドや女性だけのバンドがそれほど珍しくなくなった今、女の子がやっているバンドということだけで、注目される時代は終わった。ハートなりの新機軸をださないと、これから厳しいだろう。*
というミュージック・ライフ誌としては、かなり厳しいコメントがあったのが、いまでも印象に残っています。

次の記事に続く


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