前回、70年代プログレシッブ・ロック畑の女性ヴォーカルバンドとして、ルネッサンスに着いて紹介しましたが、今度は、ライバルであるカーブド・エアについて紹介します。
そこで。今回の記事は主にバイオグラフィーを紹介していきます。
①はじめに
私が、中学・高校のころ、UKのエディ・ジョブソンやポリスのスチュアート・コープランドがかつて在籍していたバンドとして、カーブド・エアの名前は知っていましたが、実際に聴くまでは至りませんでした。
2002年にロック音楽リスナーに復帰して、女性ヴォーカルのブログレシッブ・ロックに興味がわいてくると、ルネッサンスとともにそのジャンルを代表するにカーブド・エアに興味を持つは当然の流れで、全盛期をメインにCDを集めて聴く用になった次第です。
②バイオグラフィー
1)結成から1972年
フロリアン・ピルキントン・ミクサ(ドラムス)、ロブ・マーティン(ベース)、フランシス・モンクマン(ギター、オルガン)が組んでいたアマチェア・バンドに、王立音楽大学でヴァイオリンを学んでいたダリル・ウエイ(バイオリン、キーボード)が加わります。
バンド名はテリー・ライリーの楽曲「レインボー・イン・カーヴド・エア」より取りました。
さらにそこから、ミュージカル『ヘアー』のオリジナル・ロンドン・キャストの一員だった、女性ヴォーカリストのソーニャ・クリスティーナが加わり、バンドとして形を整えました。
1970年、カーヴド・エアはワーナー・ブラザース・レコードとの契約を得て、11月にのファースト・アルバム「エア・コディショニング」を発表し、全英8位というセールス成功を獲得します。
ファースト・シングルに選ばれた「イット・ハプンド・トゥディ」や、ダリルのテクニックを生かしたインストゥルメンタル「ヴィヴァルディ」といった、バンドの代表曲を収録しています。
なお、ファースト・アルバム制作後、ロブが脱退して、イアン・アイアーが加入するというメンバー・チェンジが発生しています。
1971年、セカンド・アルバム「セカンド・アルバム」からは、シングル「バック・ストリート・ラヴ」が全英4位のヒットとなり、アルバム自体も全英11位となりました。
1972年、サード・アルバム「ファンタスマゴリア-ある幻想的な風景」は「メリンダ」や、フランシスが主導権を握った前衛的な楽曲「前にいるのは誰」を含む多彩な内容で、評判も上々でした。
しかし、同作に伴うツアーの途中でフランシスが脱退し、後任にカービー・グレゴリーを迎えますが、ダリルとフロリアンも続いて脱退し、バンドは、エディ・ジョブソン(バイオリン、キーボード)とジム・ラッセル(ドラム)を迎えてツアーの残りを消化します。
しかし、主要メンバーの相次ぐ脱退により、バンドは危機的な状況を迎えます。
2)1973年から解散
ソーニャとマイク・ウェッジウッド(ベース)の2人に、カービー、エディ、ジムを加えた新編成で1973年に「エア・カット」を発表しました。
その後、バンドは一度解散状態となりまして、エディはブライアン・イーノの後任としてロキシー・ミュージックに加入し、ソーニャは再び「ヘアー」に出演しました。
1974年、オリジナル・メンバーのダリル、フランシス、フロリアンが復帰し、新たにフィル・コーン(ベース)を迎えまして、11月からツアーを開始しました。
その後、ソーニャとダリル以外のメンバーは脱退し、1975年にスチュワート・コープランド(ドラムス)等を迎えて 「ミッドナイト・ワイアー」、1976年に、「エアボーン」を発表しました。
その後、ダリルが再び脱退して、アレックス・リッチマン(キーボード)が加入しますが、1976年12月には解散します。
ソーニャは1980年にソロ・デビューして、スチュワートはポリスのメンバーとして成功を収めます。
なお、ソーニャとスチュワートは1982年に結婚しますが、後に離婚します。
3)再始動から現在へ
1990年、オリジナル・メンバー5人が再び揃い、ライブ活動を行います。その時の演奏は、2000年に「アライヴ1990」として発表されました。
そして2008年、ソーニャ、ダリル、フロリアンの3人に、アンディ・クリスティ(ギター)、クリス・ハリス(ベース)の2人の新メンバーを加えた形で再々結成して、セルフ・カヴァーを中心に、新曲2曲も収録した、スタジオ録音のアルバムとしては32年ぶりの作品「リボーン」を発表しました。
2009年1月16日・17日には、初の日本公演をCLUB CITTA’で行います。
その後、ダリルが再度の脱退をし、009年後半以降は、ソーニャ、フロリアンの2人の他に、クリス・ハリス、キット・モーガン(ギター)、ロバート・ノートン(キーボード)、ポール・サックス(バイオリン)の6人編成で活動を継続中です。