ハート バイオグラフィー(80年代後半の躍進~現在)

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前回に引き続いて、今回は、ハートの80年代後半の黄金期から現在までのバイオグラフィーを紹介します。

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①第2期黄金時代

そこで、低迷から復調するため、ハートはバンドとして、大いなる決断をします。
いままで、自分たちで作詞作曲した曲を中心に演奏するスタイルにこだわっていましたが、売れっ子の外部ライターによる売れる曲を中心にアルバムを作成することにしました。
また、それを反映し、音楽性もよりポップでメロディアスにしました。
レコード会社もキャピトルに変えて、売れっ子のロン・ネヴィソンをプロデューサーに起用しました。
また、ウィルソン姉妹の美貌も利用して、当時興隆していたMTVも多く活用しました。

1985年、セルフ・タイトルである「ハート」を発表しました。上記の努力が実を結びまして、初の全米1位という快挙を成し遂げ、シングルカットした「ホワット・アバウト・ラヴ」(全米10位)、「ネヴァー」(全米4位)、「ジーズ・ドリームス」(何と初の全米1位)、「ナッシング・アット・オール」(全米10位)とのきなみヒットし、70年代後半の第1期黄金時代以上の人気とセールスを獲得し、完全復活をとげました。

1987年に、「バッド・アニマルズ」を発表し、全米2位となり、シングルカットした名曲アローン」は全米1位となりました。
1990年に「ブリゲイド」を発表し、これも全米3位に輝きました。
結局、3枚のアルバムを連続全米3位以内という快挙を成し遂げたわけです。
当時MTVが大流行していて、ウィルソン姉妹の美貌もレコードセールスに好影響を与えていました。

またライブ・ツアーは大がかりでアリーナクラスの会場を中心にまわり、「アリーナ・バンド」としての評価が固まり、ビッグネームの仲間入りをはたしました。
しかし、その栄光の裏では、ハートとして、自分たちが追及したい音楽性より、とにかくセールスを優先したため、いろいろ納得できないこともありました。

その当時のメンバーを整理すると

アン・ウィルソン(ヴォーカル)
ナンシー・ウィルソン(ギター/ヴォーカル)
ハワード・リース(ギター/キーボード)
マーク・アンデス(ベース)
デニー・カーマッシ(ドラム)

②オルタナティヴ・ロックの台頭による人気低下から活動休止へ

1991年、グランジ・ムーヴメントが勃発し、その影響で、人気が下降してきました。
それとともに、ハート自身もセールスにこだわらず、ハートの原点であるハード・ロックやアコースティックサウンドをメインとするようになりました。
それを反映して、1993年発表の「デザイヤー・ウォークス・オン」も全米48位とセールスも振るいませんでした。

さらにこの時期、メンバーのハート以外での活動も目立ち始めました。
ウィルソン姉妹は「ラブモンガーズ」というアコースティックサウンドをメインとする別プロジェクトを発足させ、デニーは「カヴァーデイル/ペイジ」に参加します。

また、メンバーの脱退も相次ぎました。1992年にマークが脱退。さらに、1994年にデニーが脱退し、ホワイトスネイクに加入しました。

1995年に、アンプラグド・ライブ・アルバム「ザ・ロード・ホーム」発表しました。
元レッド・ツェッペリンのジョン・ポール・ジョーンズが、演奏も参加し、アルバムのプロディースも行っています。
レッド・ツェッペリン好きのウィルソン姉妹の夢もかなったことでしょう。
その後、ハートとしての活動を休止しました。

ウィルソン姉妹は「ラブモンガーズ」の活動をメインに、並行してソロ活動を行いました。
アンは舞台での活動をメインに、ビートルズのトリビュートバンド「アビーロード」に参加し、来日公演も行いました。
ナンシーはソロ・アルバムを発表し、夫であるキャメロン・クロウが映画監督をつとめる映画の音楽の作詞、作曲も担当しました。

③ハートとして活動再会、しかしハワード・リースは脱退していた

2002年、ハートとして、メンバーを変えて、久しぶりサマー・オブ・ツアーが行われました。
最終日には地元シアトルでライブを行いライブ作品「アライブ・イン・シアトル」として発売されました。

ハートの再始動はうれしかったですが、ただ一つ気がかりなことがありました。
このツアーにはデビュー当時からバンドを支えていたハワード・リ-スの姿は見られなかったことです。
たまたま、ハワードとウィルソン姉妹とのスケジュール調整がつかなかっただけなのか?それとも、脱退してしまったのか?
ハートの古くからのファンの私にとっては、前者であってほしいと思っていました。

2004年、11年ぶりのオリジナルアルバム「ジュピターズ・ダーリング」を発表しました。
このアルバムのレコーディングにも、ハワードは参加していなくて、本当に抜けてしまったな、思うと悲しかったです。
ハートの再始動はうれしかったですが。

ハワードは、ポール・ロジャースのバックバンドとして、またバッド・カンパニーのサポートメンバーとして、ツアーに同行し、2010年には来日しています。

④そして、クラッシック・ロック・レジェンドとしての再評価

2007年にアン・ウィルソン初のソロアルバム「ホープ・アンド・グローリー」を発表しました。
2010年に「レッド・ベルベット・カー」を発表しました。久々にチャートにのり、全米10位を記録しました。
そのうれしいニュースの陰には、おしどり夫婦であったはずのナンシーとキャメロン・クロウが離婚という悲しいニュースがありました。
2012年には、ナンシーが大手映画会社の幹部と再婚しました。この年になっても再婚できるなんて、やっぱりナンシーって美魔女って思いました。

同年、アルバム「ファナティック」を発表しました。ウィルソン姉妹によると、ハート史上最もヘビーでハードとのことでした。
なるぼど、聴いてみますと、私たちもおばちゃんになってしまったが、若い者には、まだまだ負けへんでー、という勢いを感じさせます。

2013年、そして、ついに、ロックの殿堂入りとなりました。この時を待ちわびていました。
ハートは実績のわりに評価が低いなと感じていました。女性中心バンドの先駆者として、ある意味ライバルであるフリートウッド・マック、ブロンディ、プリテンダーズが殿堂入りしているのに、なぜハートはまだなの、と思っていましたが、このニュースを聴いて、ハートもやっと正当な評価をされたな、と思うと、心底うれしかったです。

2015年に、アンは一般男性と結婚します。二人は長年の友人だったようです。

2016年はアルバム「ビューティフル・ブロークン」を発表します。
このアルバムは新曲が4曲ほどで、後は過去曲のリメイクです。その、過去曲も80年代前半の低迷期の曲ばかりです。
本当は、その売れかったような曲が本当にやりたい曲なのかな?また、ロックの殿堂に入っても、低迷期のことを忘れないでおこう?と思ったのかもしれません。
いずれにせよ、名誉やセールスに関係なく、自分たちの音楽を追及するウィルソン姉妹にミュ-ジシャン・シップを感じさせます。

次の記事に続く


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