ハート 男性メンバーの貢献

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ハートといえば「ウィルソン姉妹」というイメージが強く、男性メンバーは忘れられがちでの存在感が希薄です。
確かにウィルソン姉妹は魅力的で、とくにアンは世界一の女性ロックボーカリストだが、バンドとてはピンとこないという人もいます。
その点が、バンドとして、実績の割には評価が上がらない点の一つではないでしょうか?
しかし、彼ら男性メンバーのサポートなしにハートは成り立っていきません。
彼らだって、ハートに貢献しているので、もっと注目してほしいと思います。

彼らに共通しているのは、
1)演奏テクニックが確かで、どのようなタイプの曲も弾きこなします。
2)ドラッグや酒をのんでの喧嘩騒ぎの話を聞いたことが無く、ロック・ミュージシャンとしては紳士的な部類です。
3)ヴォーカリストのバックに徹するというある意味でのプロ意識があます。

ハートを離れても、スタジオ・ミュージシャンや大物ヴォーカリストのバック・ミュージシャンとして重宝されています。
また、みんなわりとルックスがよく、上品でノーブルなバンドのイメージに一役買っています。
また、普段はウイルソン姉妹をバンドの顔としてたてて、自分の役割を確実にこなしてきましたが、要所でウイルソン姉妹がはっとするような男らしさを発揮しています。

それでは、とくにハートに貢献した主要な男性メンバーについて紹介します。

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①ロジャー・フィッシャー

パート(リード・ギター)
在籍期間(結成時から1979年)

ハートというのはもともとロジャーとステーブ・フォッセンが中心となっていたバンドに、アンが途中で加入してできたバンドであり、最終的にはナンシーも加入して、デビュー時のメンバーがそろったという経緯があります。

また当時、フィッシャー兄弟(兄はマイケル、ハートのマネージャーをやっていた)とウイルソン姉妹は兄弟、姉妹同士で2組のカップルであり、アンはマイケルとロジャーはナンシーとそれぞれ恋仲でありました。

また、ハートの音楽的なコンセプトはロジャー・フィッシャーが考えて作っていました。
ロジャーがいたころのウィルソン姉妹はあくまで、「看板娘」という位置付けでありました。
すなわち、ロジャー・フィッシャーはハートの生みの親であり、育ての親でもありました。

また、ギタリストとしてもかなりのテクニックを持っていました。
カントリーやブルースの影響が感じられ、またそのプレーもかなり変則的でテクニカルです。
とくに「マジック・マン」でのギターソロが光っています。

しかし、ロジャーはナンシーとの関係が破局を迎え、79年にハートを離れました。

当然、ロジャーの脱退が与える影響は大きいです。
ロジャーの脱退後、ハートの曲やアルバムのクオリティ・ダウンは明らかです。
ヨーロッパ世界とアメリカ世界の融合した独自の音楽を作っていたハートが、個性のない並のつまらないバンドになり下がってしまいました。
(85年に復活するが、このような考えかたは今でも根強い)

また、その後の度重なるメンバー脱退についても、ロジャーの脱退が影響しているように思います。

②ハワード・リース

パート(ギター/キーボード)
在籍期間(1975年から1998年)

彼は、ハートの男性メンバー中、もっとも長い期間在籍したメンバーです。

デビュー前はセッションマンとしてライブに参加していましたが、デビュー直後に正式メンバーとなりました。
79年のロジャー脱退後、リード・ギタリストとなりました。

かれのギタースタイルはどうだったのだろうか?ロジャーの変則的でテクニカルなギタープレイと比較して、直線的で地味という感じですが、本当はその気になれば、バリバリキターソロもできるような人だったと思います。
アンのボーカルを前面にだすために、彼はサポート役に徹していました。

また、彼はギター・コレクターとして有名です。
また、コンサート前のギターチューニングを入念にやる人でした。ハートはコンサートの時、かなりの種類のキターを使いこなします。
それを一本一本丁寧にチューニングをするのは並大抵の作業ではなありません。
また、女性であるナンシーにたいして、女性の体格にあったギターをいろいろ見繕っています。
そのくらい、彼のギターに関する愛情は相当のものでありました。

彼のギターの話はそれぐらいにしておいて、彼の人格的な部分にも注目して生きましょう。
自己主張が強く、エゴイスティックな人間の多いロック界において、彼ほど心が広く、温厚な人はいないでしょう。
またいい意味で楽天的でのんびりした人でした。
80年代前半、ハートは低迷し、スティーブやマイケルも脱退してゆく中、男性メンバーでただ一人彼が残ることになります。
「アンは何もかも自分ひとりで抱え込んでかなり煮詰まっている」「ナンシーはキャメロン(映画監督、今のだんなさん)」に夢中である。
今、冷静なのは自分1人だ。一番下っ端でも自分が動かないとハートは立ち行かなくなると、アンをなだめたり、いろいろ外部との調整役というサポート役に徹したと想像されます。
彼がいなければ、ハートは解散していたかもしれません。

また、温厚なだけでなく、男気もありました。
それを示す以下のようなエピソードがあります。

90年のヒット曲である「All I Wanna Do Is Make Love To You」が「一夜限りの情事」を歌って曲として、アンがマスコミから質問攻めにあい、
またイギリスで放送禁止になったこともありました。
そこで、ウィルソン姉妹にかわり、マスコミやイギリス当局に抗議文だすなど、リーダーであっても女性ではやりにくいことを代わって行いました。

95年ぐらいからハートは活動を停止。2002年の6月に久々のハートのライブ・ツアーに参加していなかったことが気がかりでした。
2004年のアルバム「ジュピターズ・ダーリング」の作成にも参加していなかったので、あー、ハワードまで抜けてしまったか?と思うと大変悲しくなりました。

彼がいてこそ、ハートはバンドとなりうると思っていました。彼が抜けたことにより。ハートは本当にウイルソン姉妹によるプロジェクトになってしまいました。

③デニー・カーマッシ

パート(ドラムス)
在籍期間(1983年から1993年)

彼は、80年代後半のいわいる黄金期ハートをささえたメンバーです。
73年に一世を風靡したハード・ロックバンド、モントローズのメンバーとしてデビューし、76年の解散後、ガンマなどのバンドを転々とし(一時はMSGにも参加)、83年ハートに加入しました。
約10年間、ウイルソン姉妹をささえ続け、94年にハートを脱退しホワイトスネイクに加入し、デイヴィッド・カヴァーデイルのソロアルバムにも参加しています。

また、ハート在籍中も、いろいろなバンドのレコーデングに参加しています。
もっとも有名なのが、92年の カヴァーデイル/ペイジ・プロジェクトへの参加とシンデレラのセカンドアルバムへのレコーディングに、コージー・パウエルとともに参加したことです。
いわいる引く手あまたの名ドラマーです。
彼のドラミングスタイルは派手さがないが、タイトで力強いです。
また、ジョン・ボーナムの跡継として彼の名があがっていたこともありました。
ハートの男性メンバー同士で比べると、彼が名声、実力とも1歩ぬきんでていたことは、誰もが承知の事実です。

なぜ彼のような実力者が当時落ち目のアイドルバンド(そう、このころハートは低迷していた)、ハートに入ったのか・・・ウイルソン姉妹が魅力的だった?いやいや、ギャラが高かった?
いやいや、ウイルソン姉妹(とくにアン)が、彼のジョン・ボーナム似のドラミングスタイルが気に入りデニーに声をかけた時、音楽的な意見が合い意気投合したということです。

当然、彼はハートのなかで優遇され、名作「ブリケイド」の曲中、彼がサミー・ヘイガーと一緒にペンをとった曲が2曲あります。
ウイルソン姉妹も、他の大物バンドに抜かれないように、大切に扱っていたと思います。
また、デニーの方もウイルソン姉妹の期待にこたえ、彼女らに優しさを感じていたように思います。
彼にとっても、ハートは居心地がよかったバンドなのではないだろうか。ちなみに彼にとって、ハートはもっとも在籍期間の長いバンドです。
そのようなメンバーの信頼関係があってこそ、3枚のアルバムを連続で3位以内へ送り込むという偉業を成し遂げられたと思います。

しかし、残念ながら、90年代に入りハートの活動が低調となり、またアコースティックサウンドがしだいにメインとなると彼の存在意義は薄れていきました。
94年、デイヴィッド・カヴァーデイルに引き抜かれ、ホワイトスネイクに加入してしまいます。
ハートにとってみれば大きな損失で、ファンである私にとっては大変残念なことです。

次の記事に続く


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